棘ある言葉の裏側には

なんとなく嫌な言い方や態度をとる人

そんな人に悩まされる事って、生きていく中で避けては通れませんよね

 

ではなぜ、嫌な言い方や態度をとるのでしょう?

人は誰でも自分の心が傷つかないように

外からの刺激に対し、あらゆる方法で心を守っています

 

自分の意にそぐわない時、圧力を受けたとき

ある時は、強がって見せる

そんなことで、私は傷ついていないのです・・・と

 

もしくは無表情で冷静を装ってみせる

心の動揺を見せないことで、自分の心を守ろうとするのです

それは他者に対しても、自分自身に対してだったりもします

 

そしてまたある時は、はぐらかす

無関心を装うことで、なかった事として処理しようとする

 

自分の要求や欲求、意見を引っ込める

これも心を守る方法です

皆に合わせ、自己主張をしない事で

その後に予想される「対立」のストレスから身を守ります

 

逆に、不必要に自分の「怒り」や「自我」を外に向ける

威圧的な言葉や態度で「怒りのアピール」「マウント」で先手を打ち

相手より優位に立とうとするのは

やっぱり心が傷つかないように、先回りしたい気持ちが潜んでる

 

自我が成熟すると、こんな風に自分の心を守ろうとする働きは弱まります

なぜなら

弱い心を見せても平気、受け入れてもらえる

ことがちゃんとわかっているから

 

強がる人、わざと意地悪な事を言う人、棘のある言葉を選ぶ人

その奥底には(本人も気づいていないかもしれない)

傷つきたくない、

受け入れてもらえない事の恐怖から心を守りたい

という本能が隠されているのです

 

心の壁を厚くして、自分の心を守りたい

成長段階で、傷ついた経験があるケースがほとんどです

 

なんだかアレに似てます

猫ちゃんが着地や狩りに失敗した時(結構かっこわるい)

なんでもないです、という態度をとる

バレバレなのに笑

 

意地悪な誰かの言葉や態度に悩まされたとき

失敗猫ちゃんの小さなプライドを思うと

少しだけ、嫌な誰かも「傷を負った」愛すべき人に思えたら

その人の傷はまだ癒えていないのだな、と思えたら

嫌な気持ちも、少しはユーモアに変えられるかもしれません

 

笑いに変える、これもまた自分の心を守る方法ですね